FIRE後の日常生活について、現役で活躍されている友人にどのように説明すべきか、迷うことはありませんか?
「充実した毎日を送っている」と伝えると傲慢に聞こえる懸念があり、かといって「想像以上に地味な生活である」と述べれば不必要な心配をかけかねません。
昨日、学生時代からの友人2名と久しぶりに再会する機会を得ました。
その際に痛感したのは、一般社会における「FIRE」という概念の認知度の実態と、彼らからの率直ゆえに本質を突く質問の数々でした。
久しぶりの再会で感じた認識の相違
現在、私は大阪の片隅に居住していますが、もともとは兵庫県の出身です。友人の一人がこの連休に地元に戻っているらしく、同じく地元の友人一人とともに、神戸に3名が集合して飲み会を開きました。
そんな再会の中で、会社を辞めたことについて報告。
私は独身時代に「1億円貯めたら、退職して沖縄に移住する」と公言していたため、早期退職自体は、そこまで驚きではなかったようでした。しかし、実際に対面で「会社を退職した」と報告すると、次のような反応がありました。
「本当に実行したんだ・・・」
「奥さんは、よく許したなぁ」
「お金って、生涯にわたって問題ないの?」
長年勤務した会社を退職するという決断の重大性と、家族や資金という現実的な課題の高さを、同世代の会社員として実感しているようでした。
ブログを見せて判明した、認知度の差
乾杯後しばらくして、退職後ブログを始めたことを話しました。そして、このブログをスマートフォンで見せたところ、友人の一人から以下の問いかけがありました。
「タイトルの『FIRE』って何?」
ネットで投資コミュニティに身を置いていると、「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という用語は既に一般化した概念のように感じられます。
しかし、世の中の一般の現役の会社員にとって、この言葉は依然として「意味不明なアルファベット4文字」に過ぎなかったようです。
この瞬間、ネットや投資界隈では常識でも、世間一般には全く浸透していないという認識のズレを痛感しました。
回答に窮した本質的な質問
会社を辞めたとの話を進めている中、さらに友人から核心を突く質問がありました。
「それで、毎日、何しているの?」
正直なところ、この質問に対しては、
「午前中はフィットネスジムに通って、その後はブログを書いたり、意外と時間がないよ」
と自信をもっての回答ができずじまいでした。
おそらく、無意識のうちに会社員時代の「多忙さ」を充実度の基準としてしまい、現在の生活を「地味である」と否定的に捉えてしまったからだと思います。。
口に出してみると、非常に地味な印象です。「趣味三昧の生活」「世界一周旅行中」「自分のお店をオープン」といった華々しい話題はありません。 友達は「仕事に行かなくて良いね」と言ってくれましたが、せっかく自由を獲得したにもかかわらず、どこか「社会規範から逸脱した後ろめたさ」のようなものを感じてしまいました。
執筆を通じて再認識
飲み会の席では本質を突かれて、自信を持った回答はできませんでしたが、本記事を書いていく中で、改めて自分の考えを整理することができました。
「ジム通い、ブログ執筆、投資活動」
これを私は友人の前で「地味である」と感じてしまいましたが、これらこそが50代以降の人生を支える「3つの資産管理活動」かもしれないと思いました。
- ジム通い=身体資本の維持:単なる余暇ではありません。健康寿命を延伸するための、重要な活動です。
- ブログ執筆=知的資本の維持:受動的な情報消費とは異なります。思考を言語化し、社会との接点を維持する生産的活動です。
- 投資活動=金融資本の維持:日々チャートに張り付いているわけではありませんが、週1回ぐらいはポートフォリオの管理もしますし月1回は売買もします。 これら資産管理はFIREの本質です。
労働集約的に忙殺されるのではなく、資産を管理し、確保した時間で心身を維持する。これはある意味、「人生の最適化」なのかもしれないと思いました。
おわりに
インターネット上のFIREコミュニティでは「資産額」や「運用利回り」の議論が中心となりがちですが、実際の友人が関心を持つのは「日常の過ごし方」といった、より実生活に根ざした側面でした。
昨日は、鋭い質問に答えられず困ってしまいましたが、その経験により、自分の生活スタイル(健康維持・知的活動)が、長期的視点で合理的なものであると再確認できました。
派手なイベントがなくとも、健康と知性が確保されていれば、生活は十分に充実しているということなのだと思いました。



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